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おめーら科学かぶれの常識はムシには通用しねえ!

身近なムシのびっくり新常識100 いもむしが日本を救う? めったに見つからないカブトムシ?(サイエンス・アイ新書 64)身近なムシのびっくり新常識100 いもむしが日本を救う? めったに見つからないカブトムシ?(サイエンス・アイ新書 64)
森 昭彦

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 夏が本格的に来る前に。

 ムシなんて、ちょっと意識を向ければ数え切れないほどの数が身の回りにいる。でもいつの頃からかその存在に気づかなくなってた。
 子どもの頃はどれほどのムシと遊んだことだろう。ダンゴムシを転がしたり、幼虫をポケットに詰め込んだり、カマキリにバッタをあてがえたり、カブトムシをかまぼこ板のタワーの中に入れ、それを崩壊させ、瓦礫の中から生還する彼に興奮したり。言うまでもなく今思えば残酷な行為をさんざん行った。ムシと密着した生活だった。
 しかし大人になるにつれムシにふれることが怖くなって、無視して、忘れた。

 同じ頃、動物、いわゆるほ乳類やは虫類にも興味をもっていた。しかしそれも大人になるにつれて忘れていった。

 学校や雑誌やテレビなどで、動物もムシも私たちと同じ生き物であり生命だと学んだ。「宇宙船地球号」だの「地球のために」だの「生命の重みはいっしょ」だのというアレだ。これは大事なことだしそれなりに真剣に受け止めてはいたが、今の思いとはちょっと違う。


 去年、到津の森公園という動物園の年間パスポートを気まぐれで購入してちょくちょく通うようになった。すると、動物について植物について、そして最近はムシについて、それまでより少し、それぞれをじっくりと見つめるようになった。

 生命に上等とか下等とかないってよくいうよね。一寸の虫にも五分の魂というのと同じ地平の考え方で、生命の重みは一緒ということだと思う。でも僕自身の捉え方はちょっと違う。
 僕にとっては、比較すること自体がバカバカしいという程度の意味だ。
 自然ってのは人間の意図を超越したところにある。ただ在る。ただ生きている。それだけだ。単なる事実。ここに意図とか目的とか介在する隙間なんてないよ。彼らはただ「在る」だけだ。自分も他人も過去も未来もなく、ただ、在る。

 自分とか他人とかそういう感覚は人間だけのものだと思う。これは自然の中にひとりぽつねんと立ったとき、ヒ人が自らを卑小なものと感じる原因でもある。僕が思うには、大自然の大きさを認識できる、つまりその観念をその身に内包できるという点は、人の心の無限大性の証明なんだけどそれは別の話か。

 ともかく動物園に通い始めて、ムシってすごいってことにいまさら気づいた。しかしそんな感覚を他人に伝えるのは難しい。そこでこの「身近なムシのびっくり新常識100」だ。やっと本の話に(笑)
 こういうとき科学的データというのは便利だ。みんなが一応は同じ物差しで物事を見ることができる。つまりムシの驚異(の一端)がわかりやすく提示できる。

 たとえばクモの糸。この強度と柔軟性は防弾チョッキに使われる合成繊維より5倍も優秀で、しかもその糸は不要になったら食べたあと30分で再生可能である。
 シャクトリムシは、自分がいる樹木と同じ成分のワックスを身体から分泌し、嗅覚で獲物を探すアリがその体の上を歩いても気づかないほどの高性能ステルス機能を持っている。しかも樹木が変われば、そのワックスも取り替える。
 ウジムシは壊死した組織だけを溶かして消化し、その排泄物は各種感染を防ぐ物質である。実は戦争で負傷した際、すぐ手当てされた兵士より、傷口にウジがわいた兵士のほうが快復する可能性がずっと高い。
 ムシの完全変態は想像以上の驚異だ。幼虫は栄養摂取に専念する「歩く腸」であり、やがて蛹になったら生命の錬金術だ。分子レベルの劇的変化、神経や内臓までドロドロに溶けて成虫に生まれ変わる。

 こんな話が延々と続く。


 興味がわいたならこの本でもいいし、他の図鑑でもいいし、ちょっと読んでみたらどうでしょう。そうして今一度身の回りにいるムシを見てください。生命の多様性と迫力に、ドキドキしておもしろくってしょうがなくなりますよ、きっとね。

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