ゴリラの孤独ってなによ

例のゴリラの句どう思う?
幾人かから聞かれた。感想はみんなと同じだよ。やっちまったとか、バカにしてるなとか、ね。
この句だ。

「ぼくゴリラ ウホホイウッホ ウホホホホ ウッホホウッホ ウホホホホーイ」

作者によると「ゴリラの孤独を表現した」らしいが、孤独というより浮かれている感じがするよ。
動物名を変えればなんでも応用きくし。種を超えて応用がきくようなことが「ゴリラの」と限定した評価になるのがおかしい。いや、そんなことはどうでもいいか。
なにより選者が若者に媚びている気がする。そうでなくとも選者が「おれは若い感覚とか新しい感覚を理解しているぜ」と思っている気がする。
嫌だ。本当に嫌な気分だ。

授業でイヤイヤかテキトウか知らないが、おそらく考えなしでつくったであろう作品が、こんなことになってしまった作者の学生は哀れだ。本名出てるぞ。自業自得だけど。

そもそも、ゴリラが「孤独」を感じるか否かなんてわからない。
孤独を感じるとは、そう感じる主体が他者を認識しているということだ。逆さに言うと自己を認識している。
でも動物が(人間が言うところの)自他を区別しているのかなんてわからないよね。もちろん、わからないことを詠むのが悪いわけじゃない。それを想像するのが僕たち人間の文化の極みだよ。でもさ、ねぇ。

一般的に言うと、ゴリラはとても神経質で、ストレスによる死亡も多数報告されていると記憶している。
また、ゴリラは家族単位で生活したり、親子の絆を感じられるエピソードもあったりする。
そういう意味ではゴリラの「孤独」を感じる人がいてもおかしくはない。
でもこれは上に書いたようなゴリラの知識があるから、それに基づいてそう感じているのである。
ゴリラについて学んだり、その個体に継続して関わっているからこそ、「そうじゃなかろうか」と推察できる。

だから、動物園で動物をちょっと見ただけで「孤独」を感じることができるのは、実は至難の業だ。
よく知らない相手、たとえば街で見かけた他人に対して何らかの感慨をもつなんてことはけっこう難しいよ。
それなのに「孤独」を感じたなんて嘘だろう、おまえ? これが僕の正直な気持ち。

とはいえ、「孤独」を感じたのはあり得るとも思うんだ。これは認めたくない理由があるんだけど。
作者が「孤独」を感じたのが冗談でなく本当なら、これは彼がゴリラを見たというその場所、「千葉市内の動物園」の問題だ。つまり展示方法が孤独を感じさせるほど荒んでた・・・?

動物がかわいそうと思わせたら、動物園の敗北である。

僕は記事(下記参照)にある「千葉市内の動物園」がどこの動物園が知らない。
いずれにしても、もし「孤独」というのが、受賞コメントのための後付け理由なら、これは即刻撤回して欲しい。動物園に失礼である。
もちろん展示が酷かった可能性もあるんだけどね。


てゆうか、そんな屁理屈こねなくてもふつうにダメだろ、この短歌。


↓件の記事
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【「ぼくゴリラ」の短歌で市長賞】(2009年01月19日付asahi.com)

 山武市出身の歌人で小説家の伊藤左千夫(1864~1913)をしのび、短歌に親しむことを目的にした第57回左千夫短歌大会(同市主催)が18日、同市殿台の成東文化会館のぎくプラザで開かれた。小中高校生と一般の各部で作品を募集し、今回は過去最多の2987の応募があった。高校生の部ではゴリラの孤独を表現した県立成東高校2年菱木俊輔君(17)の作品が市長賞に輝いた。

 「ぼくゴリラ ウホホイウッホ ウホホホホ ウッホホウッホ ウホホホホーイ」

 昨年春、千葉市内の動物園でゴリラを見て、「ゴリラも人と同じように孤独なのではないかと感じた」そうで、その孤独感を表現したかったという。ゴリラのイメージを文字で表すなら「ウ」と「ホ」だったので、そのふたつでまとめるようにした。書き始めて30分ほどで完成したという。選者の田井安曇さん(78)は「素手でつかんだ本音を歌っているユニークないい歌だ」と評価する。

 国語の授業でつくり、応募した。入賞の知らせを聞いた時は「まさか、と思った。先生は何かの間違いかと思ったそうで、友人からも奇跡だといわれた」。バレーボール部員で、得意科目は数学と国語。短歌は「これからも何かの機会があれば作るかもしれない」と話していた。(後略)


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