ラブレター

動物にエサをやる前に考えることがあるかもよ、という話です。

友人yukikoさんのある日のmixi日記へコメントしたら、そのコメントに対して質問があって、そのお返事です。
実はこのお返事、yukikoさんの日記のコメント欄にいちど投稿してみたものの、あまりの長さにさすがに引いてソッコー削除。
人の日記のコメントとして許される長さではない。
でも推敲して文章を短くするのも億劫なんで、ここに投稿することにしますた。気を遣っているんだかないんだか。
そこまで意味不明な内容ではないと思いますが、意味不明なら申し訳ありません。

------------【以下、レス】--------------------

ながっちょろい話なわりに、聞くとなんだそれしきのことか、となるかもしれませんがご勘弁。いきなり言い(笑)
簡単に言うとハトにエサやるとかってのは、生態系の破壊に直結ということです。

別にハトに限らず、どんな動物(植物もですが)に対しても、むやみにエサをやったり関わったりするべきではないようです。
むやみというのは、際限なくということではなく、公園に来ている鳥にちょっと好意でパンのエサやろうというのも、この場合「むやみ」と捉えてます。

エサがもらえりゃあ、そこに来る。
動物が生きるのにいちばん時間と労力をかけるのは捕食です。捕食じゃないときは寝てる、つまりエネルギーの消費を避けるわけです。わざわざエネルギーの消費を避けるほどに食を確保することは困難ということです。
それが容易に得られるなら、それにこしたことはない。人からエサもらうようになる。そりゃそうです。だから餌付けが成立する。
すると、本来その動物が捕食のために行くところに行かなくなり、来ないところに来るようになる。生活拠点が変わる。あとはたぶんご想像の通り。

自然って本当に寸分のスキもない歯車だと思います。いわゆる「あそび」というのが一切ない。あるように見えても僕はないと思う。馬鹿馬鹿しいと思われる習性だってじっくり観察するとああなるほど。その馬鹿馬鹿しいのが別の動植物の生のサイクルにガッチリです。
エサやりとは基本的にそのサイクルをバラして違う形に「性急に」つくりかえる行為です。人が「性急に」やると、よく言われるようにいろいろひずみが出やすいようです。
山とかで「植物をもってかないでね」ってのも、それが稀少なだけだからではないということですよね。

考えてみれば簡単な話なんです。
目の前の動物は可愛い。だからちょっと喜ばせたい。純粋な善意。でもそれが彼らやその周辺や僕ら自身を殺すことになる。
エサやりって、いいことをしたと思えるから余計ヤバそーです。
エサをやるってのはその命すべてを受け止める覚悟と準備がいる。自然相手にそれができるかっていうと、まず無理ですから、軽々しく手を出すものではないです、きっと。

少し違う例ですけど、例えば、動物園で動物に定められたもの意外にエサをやるとする。お菓子でも、園内の草でもなんでもいい。
「食べる」ことはさっきも言った通り、動物の生活のなかで最も優先されることですから、彼らは何やってもまあだいたい食べるですよ。でもそれはその動物が本来食べていいものでなければ、その消化機能は体に備わってないわけだから、下手したら死にます。ちーん。
これは間違いなく弾劾の対象ですね。だから僕ですらできる限り注意を呼びかけます。嫌なヤツとかめんどくさいヤツとか思われようが不快になろうがしったことか。ま嫌なヤツって正解ですけど。

管理されているうえでのエサやりはあってもいいが、その管理もどこまでの環境を視野に入れての管理かはちょっと考えたほうがいいかもです。その公園内の糞害管理だけとかなら、マクロ的には管理されてないも同然っぽい。
動物と共に生きるって、里山とかって、別に近しい距離で暮らすってことではないですよねー。

うーん、人様のとこに書き込む長さではないですね。スミマセン本当に。

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