人間は自分の生命を生きるのだ

先月、つまり6月は、わが家にとっては入籍記念日だったりアレだったりコレだったりで、いろいろ家族について考えることが多かった。そのせいか、Twitterでも家族、なかでも今わが家でいちばんの関心事である子どもについて考えることが多かった。
そこで子どもやら育児に関するツイートをまとめてみるという手抜き。


■2010年06月06日(日)

「人間は自分の生命を生きるのだ。いきいきと楽しく生きるのだ。生命を組み立てる個々の特徴、例えば小食、例えば痰がたまりやすい、が どうあろうと、生命を生き生きと楽しく生かすことに支障がなければ、意に介することはない。小食をなおすために生きるな。痰を取るために生きるな。」(松田道雄)

「近所の奥さんは遺伝子の違う子を育てているのだ。長い間かけて自分流に成功しているのを初対面の医者に何がわかる。」(松田道雄) うん。

ここから始まって、ここに帰る。子どもを育てるとはどういうことか。そのすべてがこの2冊にあるのだぜ。松田道雄「定本育児の百科」 http://amzn.to/9RAktP と、藤岡佐規子「視点はいつも、子どもたち」 http://bit.ly/cwwA4j

藤岡佐規子先生は、日本の保育を語るには外せない超・功労者だ。妖●●●アとも称されるほど厳しく恐い。でもなにが妖●って、子どもへの思いが人を超えているのだよ。あの厳しさはすべて子どものためなのだ。本を読むとワカル。子どもの視点に立つとはどういうことか。でも兎に角恐いw


■2010年06月07日(月)

今から子どものために病院へ。高熱出した。ところでその息子1歳、座薬になにも抵抗しなくなりました。表情も変えず「もう好きにしたらいい」の体。複雑。

藤岡佐規子先生のおかげで保育の目線の凄さを知った。先生は、日本の保育を語るには外せない超・功労者だ。陰(?)で妖●とも称されるほど厳しく恐い。でもなにが●怪って、子どもへの思いが人を超えてるのだよ。超・人的。

藤岡佐規子先生の強烈な厳しさは全て子どものため。本を読むと腑に落ちる。子どもの視点に立つとはどういうことか。なんと優しい人なのだ。表紙で損してるけど、一生もんの一冊だ。藤岡佐規子「視点はいつも、子どもたち」 http://bit.ly/cwwA4j でも先生、やっぱ恐いw


■2010年06月11日(金)

6/9、藤岡佐規子先生の講演にて。保育所の最低基準の話。戦後、焦土の中で唯一子どもだけが光であり、未来への宝であると、大人たちが心を砕き、子どもたちの育ちを支えるために「最低これだけは」と作り上げたのが保育の最低基準だ。

6/9藤岡佐規子先生講演その2。子育て支援とは子どもの命を守り、心を育てること。そして未来社会の設計そのもの。親の利便性の話ではない。子育ては、二度と取り返すことのできない、子どもの今を受け持っている。かけがえのない子どもたちの時間泥棒にならないように-。

6/9藤岡佐規子先生講演その3。子育て支援は子育て応援。安易な「してもらう」人ばかりを育てない。「あなたと一緒に子どもを育てているのです。」

6/9藤岡佐規子先生講演おまけ。おれの要約じゃあの感動が伝わらないorz しかし、あの1mmもぶれない視点(子どもの視点)は、やはり人間離れしてる。厳しいけど、とてつもなく優しい。もう80歳くらいか。ずっと元気でいて欲しいわー。

子どもと一緒に怒って、年寄りと一緒に笑っちゃう。今、みんなと一緒に歩いてるぜー! RT @a_inaway: 子ども叱るな来た道じゃないか、年寄り笑うな行く道じゃないか。 #followmejp


■2010年06月17日(木)

子どもがいると、子どもの視点とか親の視点とかが、今の自分視点に加わるけど、いちばんの面白は、子どもの頃の自分視点を思い出すことだ。僕もこんなことを面白いとおもっていた! 天才だったわ。 そして今また面白くなってきた。てことは今、おれ、天才か!!(違う

世の中、子持ちの方がたくさんいる。そう思ってドラマなんか見ると、それまで意識しなかった作り手の意図を(合ってるかは知らんが)想像できる。つまんないと思っていたドラマも、それを考えて見ると楽しい。考えるだけで楽しいから最近ドラマ見てない。アレ-? 

♪困ったーときの ドラだのみ。頼んだよ 任せたよ。ハァ やっしょー まかしょ! いやマジで。今日の職場は戦場だ!!(VSボランティア)


■2010年06月21日(月)

周南市徳山動物園では子どもの興味に大人がつきあう。「ホラ、○○見に行こ」がない。また僕がどんなにゆっくり動物を見てても、基本追い抜かれない。こんな経験を行く度にするのは徳山だけ。町中でもよく声を(息子1歳に)かけられる。あの土地には何かあるぜ? 子育て支援者は研究してくださいw


■2010年06月23日(水)

子どもの保育園を選んだ基準を聞かれた。「保育所連盟HPの認可園一覧の【園の特色】みたいなPR欄に、他の園は理念や設備、年間計画について触れていたが、ウチの園はドングリの木の話とツバメが毎年やってくるという話だけで、なんだココ、楽しそう!と思ったから。」 笑われた。えーっ orz


■2010年06月24日(木)

鬼は愛する者の肉を喰むという。昔、楠佳の「鬼魔(おにこごめ)」にそうあったが(「鬼切丸」か?)、気持ちわかるわー。息子(1歳)がかわいくて可愛くてさー、最近よく思う「もういっそのこと喰っちまうか?」 あるいは再読中の「うしおととら」の影響か。マンガ危険!撤廃しろ!


■2010年06月29日(火)

姪(19)がデキちゃったので婚してた。よかった、おれ先越されなくて・・・。しかし、いとこ(つまり姪の親夫婦)は高校のときにデキちゃったから一緒になったんだったよな。親父は奪っていく君を殴らせろとはいえずに、わかった娘はくれてやるというしかねー。親父として、mm・・・



僕が絵をちょびっと描いたり、ダンスを見たり、武術が好きだったり、動物園に行ったり、山を散歩したり、アレしたり、コレしたり・・・。
自分が好んでする、誰に頼まれてるわけでもないのについやっちゃう、やり続けちゃうそういうのって、それぞれ全然別の理由からだと思ってた。それぞれが独立した趣味で、関わりのあるものだとは思っていなかった。
でも違うかった。わが子の育児に携わってやっと腑に落ちた。ああ、これ全部同じものを追求してたんだ。山を登るのにどのルートから登るのかという程度の違い。

つまり命を考える。
この場合の命っていうのは、いわゆる生き死にの命というニュアンスとはちょっと違う。
命、魂、存在、霊魂、宇宙・・・。どういう表現がいちばん適切かはよくわからんが、とにかく「私が私という、その私(これ)を考える」というときの「その私(これ)」のことだ。
僕がどうしようもなくすることは、つまり自分を考える。

自明の理だとわかっていたハズのことが、ある日急に本当に「わかる」ことがある。「ああ、そうか! そういうことだったのか!!」
育児は僕に、自分の人生のいろんなことがすべてリンクし、パパパパパッ!!と一気に世界が明らかになりつつある(ような)この興奮をもたらした。だから僕にとって、育児とはありがたい。

繰り返しますが、もちろんこれは僕にとってだけの話です。
育児って、人間にとって最も難しい行為であることは違いない。だから育児をきっかけに学ぶ(=考える)ことも多いと思う。
けれど、だからみんな子どもを生み育てるべきだ!なんてことは微塵も思わない。
子どもがいるから気づくことがある。
同様に、子どもがいないから気づくことがある。興味がないから気づくことがある。失うから気づくことがある。登山口が違うだけだよね。

もちろんどんな場合であれ、子どもに害を為すことは悪い。これは絶対的に悪い。誰にとって悪いって、簡単だ。害をなすお前(自分)にとってただただ悪い。



そんなことより遅刻する。
社会人としてはそれがいちばん悪いだろう。
いそげーっ!!!

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