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なぜ人は健康でなければならないのか~祖母の死

2015年7月6日、祖母が死んだ。享年92。
妻の実祖母なので、私が関わったのは最後の10年間ほどだ。
付き合いは決して深いとはいえないし、長くもない。
けれど、哀悼の意とともに心からの感謝を申し上げたい。

最初におことわりしておく。
今回は(今回も?)極めて個人的な話をする。ただし話題は「命」である。
当ブログは、動物園やそこで暮らす生きものについて書いている。だから命の話題はそれほど場違いな話ではないと思う。
ただし「極めて個人的な話」ゆえ、感情に流されることが怖い。夜中に書いたラブレターのように。
もちろん、そのときいちばん恥ずかしいのは僕である。だから流されても大目に見てね。

祖母の死から、私は2つの教訓を得た。
「元気がイチバン」、そして「可愛い子には旅をさせろ」ということだ。
真理はいつもあたりまえなのだ。

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祖母と曾孫(僕の息子)の関係は、驚きの連続だった。
足腰を悪くして歩けないはずだった祖母は、曾孫が生まれると、歩くどころか彼を追いかけ始めた。一度病院に運ばれ「生きては自宅に帰れない」と言われたこともあったが、悠然と帰宅し孫と笑いあっていた。

2年前に再び入院し、寝たきりとなった。
しかし祖母の力は衰えを見せなかった。

入院後、祖母は死ぬまで、一日の大半を夢の中で過ごしたが、曾孫が見舞いに来ると、なぜか目を覚まし四肢を伸ばし唇を動かし曾孫を歓待した。
「今夜が山場」と医者から呼ばれ夜中に駆けつけたときも、何事もなかったかのように復調した。「もってあと数日。いや今心臓が止まってもおかしくない」と集中治療室に運ばれたときも「止」まらなかった。それどころか、体から伸びる無数の管が見舞いにゆくたびに少なくなり、挙句、大部屋に戻されてしまった。

「山場」から1ヶ月以上が過ぎ、ようやく彼女は死んだ。

私(たち)は深い悲しみと喪失感をおぼえたが、同時に晴れ晴れとしていた。
看護の重責から解放されたからではない。
祖母の死がもたらす悲しみ、喪失感、将来ありえた団欒の永久の消失は、看護の労苦程度と引き換えにするには割にあわない。そりゃあ生きていてほしいよ。
そうではなく、彼女がなかなか死ななかったことが、その死を迎えた私たち家族に、ただちに精神的平穏をもたらしたのだ。
私たちは、いつのまにか祖母の死を覚悟できていた。

覚悟が決まるほどの長く不安な時間を与えてくれたのは、何度も医者を驚かせた祖母の強靭な肉体と精神である。
その肉体と精神を培ったのは、もちろん、彼女自身だ。
死後初めて聞いたところによると、祖母はかなりのスポーツ人だったらしい。さらに時は大正・昭和の激動の時代である。家族を支えつつ趣味を遂行するために、どれほどの努力を要するのか、私には想像もつかない。
ただ私にわかることは、「努力は必ず報われる。ただしそれは自分の想像する形とは限らない」ということである。

祖母は、目の前のことを手を抜かず真摯に対応するよう尽力し、結果として心と体を鍛えるに至った。そのおかげで最期までしぶとく生きた。
すぐに死ねず、苦しくてたまらないときもあったのかもしれない。
しかし、曾孫を求めて動かない体を動かし、声にならない声を発していたとき、彼女の眼の奥に喜びの光がなかったとは私にはどうしても思えない。
もしかしたら、曾孫を求めていたのではなく、曾孫に対し「苦しくないよ、大丈夫だよ」と強がっていただけかもしれない。
たとえそうであっても、愛する者のために強がるとき、人は悲観とは無縁になるものだ。私はそう思う。

いずれにしても、彼女の真摯な生き方が、その心身を壮健に育くみ、なかなか死ぬことを許さなかった。
おかげで私たちは、彼女の死と彼女の死んだあとの世界に向かい合う準備をする時間を得た。
祖母の生き方を見続け、祖母の遺体と向き合い、きちんと葬礼を執り行なった今、私たち家族は悲観と無縁である。

これまでの私は、「健康志向」というものを、どちらかといえば馬鹿にしていた。死ぬときがきたら死ぬしかないし、あえて健康であるよう努める必要はないと考えていた。
今はそうは思わない。
もちろん、「健康であれば死んでもいい」という極端さはどうかと思う。
しかし真面目に健康に生きることは、自分の死後、私の大切な人々の未来に安寧をもたらしうるのである。
「元気がイチバン」。
自分のためではない。愛しい人のために。うむ。

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祖母は「可愛い(曾孫こと私の息)子には旅をさせろ」ということも、あらためて教えてくれた。
息子(6歳)が祖母の葬式でわんわんと泣いた。
驚いた。まさか泣くとはね。

訃報を受けたとき、遺体を見たとき、遺体のその髪を世界一優しい手つきでなでたとき、確かに彼なりに「死」を理解しているように見えた。
とはいえ子どもである。
そのあと葬儀屋で遺体を横に過ごす数日間、彼はいつもどおり笑って悪戯を繰り返していた。私たち大人は、彼の「いつもどおり」にずいぶん救われたと思う。
葬儀のときも、途中退屈したりして「通常運行」であった。

ところが、最後のお別れと祖母に花を手向けたあと、突然息子が嗚咽し始め、堰を切ったように号泣した。
あの瞬間、彼は「死」をもう一段深く理解したのだと思う。二度と会えないことを「身をもって」知ったのだね、きっと。

ヒーロー番組で大切な人が死ぬシーンを見たこと、道端で死んでいた虫や動物を見たこと、飼育していた生きものとの別れ、動物園でいつのまにかいなくなった数々の個体のこと、数年前の祖父との死別、葬儀場の隣の畦道を歩きながら様々な生きものを観察して暇をつぶしたこと、今回の祖母の闘病の日々と遺体・・・、それらひとつひとつについて、私たちが彼に話して聞かせたこと…。
すべてが一瞬でつながり、「わかった」のだ。

彼の経験は、個別に見ると些細なことであり、あまり意味はないように思える。だいたい、すぐに忘れちゃうようなことがほとんどだ。
でも、表面上はともかく、人は無意識下ではなかなか忘れないことを、大人なら経験的に知っていると思う。
同じように、日々の小さな経験はジグゾーパズルの1ピースのようなもので、いつか不意に大きな一枚絵ができるということもおわかりかと思う(その一枚絵がさらに大きな一枚絵の1ピースだということも)。

私の息子は、祖母の死を通して、人生で初めてのジグゾーパズルを完成させた。
彼も驚いたことだろう。
毎日の他愛ない経験が、決して想像もしなかった仕方でつながり、それまで存在することすら知らなかった感情に呑み込まれたのだから。

世の中には、今の自分には決して想像もできない境地がある。しかも無数にある。
私は、息子がひとつでも多くの境地に達することを願ってやまない。
「知る」ことは愉悦である。たとえどんな小さなことでも。
ちょっと難しいクイズを解いたときですら、快感は驚くほど大きい。まして宇宙や世界の成り立ち、魂や存在の不思議といった話になると、人生にどれほどの何をもたらすのやら、まったく見当もつかない。(少なくとも「想像もできないような豊かな気持ち」になると思う。)

ジグゾーパズルを完成させるには、ただひたすらに1ピースを集めていくしかない。
1ピースとはそれぞれの経験のことだ。
「可愛い」わが息子におかれましては、おおいに大やら小やらの「旅」をして無数の経験を集めていただきたい。
そのためにも「元気がイチバン」だからね。
健闘を祈る。


最後になりましたが、おばあちゃん、ありがとう。
やっぱりちょっと泣きそうだ。でも、だいじょうぶ。
安らかに。またね。


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