鷹狩と文化

「ひろば北九州」内の連載の書き写しシリーズです。
始めた理由は→コチラ。読んでいただけると嬉いっす。


今回は「ZOOっとそばに到津の森」(「ひろば北九州」2011年4月号)分!


書き写していてメチャクチャ楽しかったです。

もちろん読んでも面白い、しかし文章を「実際に書く」(キーボードを叩く)という形でトレースすると、思わず唸るほど興奮するのがこのタイプです。
ちょっと堅め。歴史や少し専門的な内容が含まれるもの。

読んでいるときは、「ほーなるほど」とタメになる講義を受けている感じでしたが、書き写すときはそんな冷静じゃいられません。なにこのドラマチックシアター。ドキドキが止まらない。
淡々と事実を記述しているかに見えたその文は、実はとてつもないドラマを秘めています。

言いたいことがたくさんある。でも文字数制限がある。だから短い言葉を選択する。すると論文調になるワケです。
でもその短い文に詰め込まれた情報の数たるや。なんだこれ。
そして短い言葉で事実のみが示された文章のなかで、省かれずに残った少し長めの文章たちの、この意味はなんだ。
決まってる。きっと中ノ園さん自身の魂の言葉だわ・・・!

溢れる思いを理性で抑えつつ書かれた感じ。圧縮されて高密度、でもだからこそ、外へ今にも弾けんとする躍動感がスゴイ。

見た目クールな分析家の中ノ園さんの中に、どれほど高温の焔が燃えたぎっているのか。
もう、猛禽類のフリーフライトを、<ふつう>に見ることができなくなりました。

抽象的すぎて何も伝わらねー気がしますが、ええと・・・とりあえずお読みください!!(逃げた)

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「鷹狩と文化」

文:到津の森公園 飼育展示係 中ノ園浩司


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 皆さんは「鷹狩(たかがり)」という言葉を耳にしたことがあるがろうか。鷹狩とは鷹を使った狩猟のことだ。最近の動物園では鷹狩の訓練技術を用い、フライトショーを行っているところもある。当園でも時折、クマタカのフリーライトとして訓練の様子を紹介している。こうしてみると鷹狩文化の一端は形を変えているが、今でも身近に見ることができる。

 鷹を飼うのに適した環境はどんなものだろうか。動物園は動物を展示するということを前提にしているため、原則として檻や柵などの閉ざされた空間で動物を展示している。この飼育方法では、物理的に動物が逃走する危険がない反面、動物の活動範囲は極端に制限される。種にもよるが、本来の野生での行動範囲を考えると、どんなに広い動物園でもその動物に十分といえるほどの空間は与えられないのが現状だ。

 それに比べ、鷹狩で使う鷹は足につけた足革に大緒(おおお)と呼ばれる紐で足を繋ぎとめているだけだ。訓練や狩りの時はその紐を外して飛ばす。紐を外してしまえば、まさに鷹の自由。鷹匠の拳に戻るように訓練されていなければ、どこに飛んで行くのかわからない。

 訓練された鷹、例えば日本の鷹狩の伝統種であるオオタカなどは、ひと山ほどの距離であれば、鷹匠の拳に呼び戻せると言われている。また、ハヤブサなどは、開けた平野部であれば、上空に高く広く旋回飛行させる「上げ鷹」と呼ばれる技術が用いられる。この技術ではハヤブサを肉眼で確認するのが困難なところまで高く上げて操作する。

 このように訓練した鷹であれば、檻のない広い活動空間で展示できる。しかし、その場合は鷹の筋力や羽の傷み、制御のための代謝や精神管理など細やかな配慮が必要となり、管理が難しい。動物の種や管理方法、飼育空間などを総合的に考えると、従来の動物園のように閉ざされた空間で展示するのは仕方がない。そうは言っても、鷹狩とその訓練は、比較にならない運動量や獲物を捕獲するという鷹本来の欲求に応えられるため、動物好きにとってはこれほど魅力的な展示方法はない。

 さらに鷹狩には歴史や文化的な魅力がある。鷹狩の機嫌は4千年ほど前の中央アジアを発祥とし、その後全世界に広まったと考えられている。日本に入った時期は日本書紀に登場した頃が有力視されている。鷹狩が伝わった当初は狩りを目的としたものだったが、その後、貴族の高貴な遊びとされてきた。戦国時代あたりから権威の象徴として武将の間にも広がり、さらに江戸時代に入ると軍事訓練や各藩の財力を削ぐ手段としての色合いも帯びてきた。つまり時代や場所によっては、単純に狩りをして食糧を得るためだけでなく、遊びや政治的な戦略目的の鷹狩もあった。

 その後、大政奉還によって天皇家に引き継がれたが、明治・大正・昭和と時代を経て昭和50年頃を最後に天皇家の鷹匠は途絶えた。つまり職業としての鷹狩・鷹匠は消滅してしまった。とはいえ、鷹匠は技術を身に着けたまま各地に点在していた。今でも鷹狩・鷹匠という文化が残っているのは、完全な形ではないにせよ、そういった方々から、その技術が受け継がれてきたためだ。

 では、鷹狩の文化とはどのようなものであったか。先進国では食糧事情や文明の発達ゆえに鷹狩で食糧を得る必要性がなくなったため発展しなかったと考えられる。日本では近年、暴力団が鷹を密猟し、資金源にしているという風評もあったように、鷹狩は鷹の乱獲や自然から搾取することで環境破壊の原因とみる見方もあるようだ。しかし、江戸時代には鷹場制度(殿様の鷹狩のために狩場を自然豊かな状態とする制度)があり、鷹場は野鳥や動物たちのサンクチュアリとなっていた。鷹場で野鳥をとった農民が死罪になるほど、現在の自然保護区よりも厳格に保護されていたようだ。そうすると以前は鷹狩のイメージと環境破壊とは結びつかなかったと思われる。

■仏など11ヵ国の鷹狩が世界無形文化遺産に

 では、食文化が影響しているのか。人間が食糧を得るために、鷹が捕獲した野生動物の肉を食べることと衛生的に管理された家畜の肉を食べることの違いを考えてみたい。

 個人的見解だが、野生動物の肉を食べることは自然の恵みに感謝し、ヒトが動物であることを忘れさせないでいてくれる。つまり命をいただいている実感がある。ちなみに中央アジアや北欧では鷹狩が終わった後、獲物を並べ感謝の祈りを捧げるならわしがあるようだ。

 一方、加工されて食卓に届く食肉では動物への感謝の気持ちは感じられない。屠殺(とさつ)が向上で行われ、生きた家畜の姿を見ることなく食肉が売り場に並んでしまうためだろう。過激な言い方をすれば、汚い部分は見ないまま用をたせる水洗トイレと同じ感覚だ。そこには命をいただいているという実感はほとんどない。

 何をもって文化とするかにもよるが、現在まで我々が食べ繋ぎ、生き延びてこられた背景には、こうした食文化の一端を担ってきた鷹狩があると考えている。

 昨年(※2010年)、フランス、チェコ、サウジアラビア、モンゴル、韓国など11ヵ国で行われている鷹狩がユネスコの世界無形文化遺産に登録された。鷹狩が文化の一端であることが証明されたと感じた時であった。

 私は時折、動物園のイベントとしてクマタカのフリーフライトを行っている。これは動物園から依頼されてやっているのではない。このような鷹狩の文化や思想を人として失ってはいけないという個人的な思いから、園の承認のもと活動を続けている。少しでも動物園を訪れた方に感じていただきたい。

 私は今も鷹狩の魅力に取りつかれている。



【到津の森公園(小倉北区上到津)】
 前身は西鉄が経営する到津遊園。昭和7年開園。遊園地に併設された動物園として市民に親しまれたが、平成10年、経営難を理由に閉園方針を発表。だが、26万人分の存続署名が集まり、北九州市が引き継ぎ、平成14年、到津の森公園として再開。
 自然に、動物に、人間にやさしいをコンセプトに、約100種500頭の動物を展示。また、「市民と自然を結ぶ窓口」として、市民がエサ代などを寄付できる制度、エサの準備などに協力する市民ボランティア制度もあり、市民と一体となった動物園づくりをしている。

web http://www.itozu-zoo.jp/


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