キナコがつないでくれたもの

「ひろば北九州」内の連載の書き写しシリーズです。
始めた理由は→コチラ。読んでいただけると嬉しい。


今回は「ZOOっとそばに到津の森」(「ひろば北九州」2011年3月号)分!


今は到津にいないオオカミの話です。到津遊園のときはいたのです。
あの頃はダチョウやペンギンやクマやカバだっていました。
タイムマシンがあったら・・・到津遊園をもう一度だけ見たいなあ。単なる感傷です。

今回の文を初めて読んだとき、実は感傷的すぎると思いました。もっと冷静に論理的でいいのではないかと。
でも違った。書き写してちょっとわかった(気がする)。これは畏敬だ。
動物に対して経験と科学で相対して、そのうえでの「ままならなさ」がこの文章になったんだと思います。
「ままならなさ」を「申し訳ない」と思うことは「自然」に「頭を垂れる」ことです。
謝りたいと感じている、「感謝」だ。

ありがたいという気持ちをもっている人だけが、「必ず明るい未来につながっている」と言い切れるのです。凄い。

----------------------------------------------------------------

「キナコがつないでくれたもの」
文:到津の森公園 飼育展示係 中上志保


itouzoo_12.jpg

 私が飼育員として働き始めて12年が経ちます。その間、たくさんの動物との出合いと別れを経験する中で、彼らから「忘れていた大切なもの」を教えてもらっていると感じています。一昨年(※2009年)、9年ぶりに再会した「キナコ」がそうでした。キナコは旧到津遊園が閉園する1ヶ月前に誕生した雌のオオカミです。今は北海道の円山(まるやま)動物園で暮らしていますが、彼女の生涯はまさに波乱万丈です。

 キナコは平成12年4月、姉妹である「アンコ」と一緒に生まれました。しかし、新しくなる到津の森公園ではオオカミを展示しない方針で、2頭の両親は他の動物園に移動することが決定していました。そのため、親子が一緒に過ごせる期間は、誕生からわずか2ヶ月間しかありません。
 オオカミは1ヶ月で離乳し、肉を食べ始めるほど成長が早いため、生きてはいけるのですが、実は仲間思いで、家族の絆がとても強い動物です。「一匹オオカミ」の印象から皆さんは想像しにくいかもしれませんが、そのような強い絆をたった2ヶ月で引き離さなくてはならないことに心が痛みました。しかし、私にはどうすることもできず、せめて少しでも長く家族一緒に居られるようにと願うばかりでした。

 ところが、両親が他の動物園に移動するわずか1週間前、突然、キナコに異変が起きました。前日までアンコと仲良くはしゃいでいたキナコの後肢(うしろあし)が動きません。捻挫?骨折?あらゆる検査をしてみても、原因が分かりません。その後アンコにも同じような症状が出始め、とうとう2頭は歩けなくなりました。骨盤に異常があるようですが、原因ははっきりせず、2頭の治療方法は「絶対安静」。そのため、治療に専念するには両親から引き離す必要がありました。

 もともと別れることが決まっていた親子ですが、あと1週間は一緒にいることができたと思うと、自分の不甲斐なさと未熟さに腹が立ちました。「私たち人間の都合で動物園を作ったり、なくしたり、動物には何の罪もないのに・・・・・・」。その頃の私は、逆らうことのできない大きな波に流されている自分が歯がゆく感じられました。また、この家族のように引き裂かれたり、閉園のため去ったりしなければならない動物たちに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
 治療のため、わけも分からず親から離された2頭は不安でいっぱいだったのでしょう。世話のために近づくと、初めは身動きひとつせずジッと耐えていました。しかし、体の大きいアンコはキナコの前に出て、私からキナコを守ろうとしているようでした。子どもたちなりに家族を気遣っているように思えました。

 世話の仕方は、後肢が動かないため、排泄物でただれたお腹をお湯で洗い、薬をつけてオムツをはかせるものですが、私を怖がる2頭は、精一杯の力で噛みついてきます。子どもとはいえ、小さな鋭い歯が生えているので、噛みつかれると本当に痛いです。しかし、「これも身勝手な人間への罪」と思いながら世話を続けました。動かない肢は、マッサージをすることで少しずつ回復し、動かすことができるようになりました。痛い治療から逃れようとすることが効果的なリハビリにつながったのか、1ヶ月ほどで立てるようになり、徐々に歩けるようになりました。

 この2頭は生後5ヶ月まで当園で過ごした後、園とは別の所で引き取り先を待つことになりました。それから2年後、そろって円山動物園へ引き取られました。そこで、しばらくはのんびりと過ごしていたようですが、6歳の時、アンコは原因不明の病で死亡しました。心のよりどころを失くしたキナコは、食欲がなくなり、後を追うようにみるみる衰弱していったそうです。しかし、飼育員の手厚い看病のおかげか、何とか元気を取り戻し、孤独感を乗り越えることができたようでした。

■逆境をじっと耐え待望の赤ちゃんを

 そして、キナコが8歳の時、5歳年下のお婿さん「ジェイ」がやって来ることになりました。生まれた時から一緒だったアンコを亡くしたキナコには、ジェイの存在はとても大きかったのでしょう。2頭はすぐに打ち解けたそうです。
 ちょうどその頃、私は仕事で円山動物園を訪ねる機会があり、キナコと再会することができました。9年ぶりのキナコは、もちろん私のことは覚えていません。しかし、立ち上がることさえできなかったキナコが、病と姉妹の死を乗り越え、自分の足でしっかりと立ち、走り、ジェイとジャレあっている姿を目にし、自然と涙が溢れてきました。キナコの目は爛々と輝き、その表情からは全身で「幸せ」と言っているように見えました。そのようなキナコに会えて、自然と顔がほころび、笑顔になっていました。

 キナコは昨年(※2010年)4月で10歳になりました、オオカミとしては高齢ですが、この年初めての子どもを授かり、待望の赤ちゃんを産みました。子どもは「ルーク」と名付けられました。ルークには、キナコとその両親の血が流れているのかと思うと感慨深いものがあります。旧到津遊園の閉園の時、守ってあげることができなかったあの家族が、また一つにつながったような気がしてなりません。

 そして、そのルークとキナコ、ジェイに再び会うため、昨年10月、円山動物園を訪れた私は、オオカミ舎に集まるキナコファンの皆さんにも会えました。皆さんは他の動物ではなく、時間を見つけては、このキナコファミリーに会うために来ています。「キナコの生き様をみていると勇気が湧いてきます」「キナコからはいつも元気をもらいます」と応援してくださる方々の輪ができていました。

 到津で生まれたキナコは千五百㌔離れた北の大地にしっかりと根づいていました。キナコの生い立ちは決して恵まれたものではありません。しかし、その逆境を必死に生き抜いてきたキナコは、今たっぷりの幸せに包まれています。たくさんの人を勇気づけ、命をつなぎ、人と人、人と動物たち、家族と家族・・・・・・。みんなつながっているんだ、今は辛くても必ず明るい未来につながっているんだと、改めて教えてくれたのはキナコでした。
 そのようなキナコに出合えたことに感謝しながら、今日も到津の森公園の動物たちと一緒に過ごしています。



【到津の森公園(小倉北区上到津)】
 前身は西鉄が経営する到津遊園。昭和7年開園。遊園地に併設された動物園として市民に親しまれたが、平成10年、経営難を理由に閉園方針を発表。だが、26万人分の存続署名が集まり、北九州市が引き継ぎ、平成14年、到津の森公園として再開。
 自然に、動物に、人間にやさしいをコンセプトに、約100種500頭の動物を展示。また、「市民と自然を結ぶ窓口」として、市民がエサ代などを寄付できる制度、エサの準備などに協力する市民ボランティア制度もあり、市民と一体となった動物園づくりをしている。

web http://www.itozu-zoo.jp/


----------------------------------------------------------------

「2013年1月8日、キナコは事故により死亡しました。」
(札幌市円山動物園公式サイトより)
http://www.city.sapporo.jp/zoo/b_f/b_19/db073.html
でも約13年生きた。

関連記事
スポンサーサイト

Comment

Leave a Reply


管理者にだけ表示を許可する