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お金の側から見た「到津」復活伝説

僕は北九州市に住んでいます。
2012年6月1日という今、この街は東日本大震災に伴う災害廃棄物(がれき)の広域処理についての話題でもちきりです。
東日本大震災の支援を境に、市は昨年Twitterを開始。少し前には北橋健治市長がFacebookに登録、今日からは市が「東日本大震災支援本部」のフェイスブックページを開設しました。
「3月11日」は、おそらく地方自治体の中でもかなりインターネット後進組(私見だけど)である北九州市の体制を変えつつあります。
そんななか、前市長の話でなんなんだけどもさ。

末吉興一。1987~2007年まで北九州市の市長を務めました。5期20年だって。
この方が今、西日本新聞で連載をしています。国政や地方行政で彼が携わったことを書いています。とは言っても記者による「聞き書き」らしいんだけど。
これが意外とハマる。たまたま初回から読んでるけど、もう止められない。
先日聞いたら全100回だって。長! 何よ、書籍化する前提?

それはいいんだけど、つい先日の「到津の森」の話が興味深かったので紹介します。
市民側や動物園側の話はけっこう聞いたことありますが、行政側の声ってなかなかね。
立場の違いによる捉え方の違いが非常に面白い。いやマジで。

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西日本新聞 聞き書きシリーズ
「挑む。巧む。走る。」-71-(2012年5月28日掲載)
前北九州市長 末吉興一

■異例の「民から官」

企業の撤退とは違いますが、西鉄の「到津(いとうづ)遊園」(小倉北区)の閉園表明は市民にとって大ショックでした。市内各地で存続を求める署名運動が起き、計26万人分が集まりました。私の5回の市長選で、これを上回った得票は初回だけです。市議会も存続決議を全会一致で可決。市政課題になってしまったのです。

 到津遊園は1932年開園の小さな動物園です。ほかの動物園と同じくテーマパークなどに押されていました。過去、年間80万人だった来場者は97年度には半分に。赤字額は年間約3億円に上っていました。

 「(遊園を)やめさせてください」。98年、西鉄の明石博義社長の申し出が発端です。青年会議所や保育園、幼稚園、女性団体などが次々と署名活動を開始。市議会からは「市が引き継いで存続すべし。ただし赤字は出すな」と注文が付きます。毎朝、通勤中に到津遊園が目に飛び込むのですが、妙案は浮かびません。徐々に追い詰められました。

 3ヶ月が過ぎたころです。ふと周辺の地図を見て、隣接地は県営公園だと気付きました。この瞬間、「動物園を市の公園にすれば」といひらめいたのです。私は身震いしました。
 赤字3億円のうち2億円は減価償却費や固定資産税などの負担なので、市の公園にすれば負担は消えます。残り1億円は、経費削減や市民からえさ代などを募る「動物サポーター」制度を導入して削減可能です。
 いつも物事を俯瞰(ふかん)して考える「鳥の目」の発想が必要ですね。

 西鉄から敷地を購入。都市計画を変更し、名称も「到津遊園」から「到津の森公園」にして2002年、再スタートしました。園長は遊園で約30年間働き、愛情がある岩野俊郎君にお願いしました。展示法も動物学者の小野勇一さんの意見を採り入れました。動物を檻(おり)に入れるだけでなく、動物本来の習性が見られる「開放型」にしたのです。

 今は「官から民」の時代ですが、逆の「民から官」の手法で存続させた動物園。うれしいことに、全国の動物園関係者の間では、北海道の旭山動物園と並ぶ成功例といわれています。市民の熱意のおかげです。
 西鉄は、後に小倉北区の商業施設「チャチャタウン小倉」の建設に当たり、到津遊園の売却金をそっくり注入。再び街の発展に投資してくれました。

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そう。チャチャってオープン当初はわりかし酷評されたけど、本当に街の発展に寄与したと思う。とくに文化面。
あすこの小さな屋外ステージには、有名無名のアマチュア、プロのパフォーマーが、毎月毎週登場してる。いちばん直近の大物はスギちゃんだ。大物か?w
とりあえず西鉄えらいってことで。
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