「故郷の動物園で獣医として働く」

以下は「ひろば北九州」内の連載を書き写したものです。
なんでそんなことやってんの? ですって?
なんででしょうね(笑) 
理由を一生懸命考えてみました。→結果


今回は「ZOOっとそばに到津の森」(「ひろば北九州」2010年5月号)分!

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「故郷の動物園で獣医として働く」
文:到津の森公園 獣医師 外平友佳理


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 到津の森公園の前身である「到津遊園」は、私が幼い頃から何度も連れて行ってもらった動物園でした。訪れるたびに、動物たちの「息づかいや匂い、鳴き声」にわくわくしたことを覚えています。
 野生動物に興味があった私は、トカゲやカエルを捕まえては飼い、また、『シートン動物記』を読んで感動し、将来は動物学者になりたいと思っていました。

 高校生の時、羽が折れて飛べない野鳥を見つけました。それはツグミでした。近くの動物病院で治療してもらおうと尋ねたところ、「犬と猫しか診ないから」と、あっさり断られました。仕方なく家に帰り、何か栄養になるものをとイチゴを与えてみると、嘴(くちばし)でつついたきり動かなくなってしまい、翌朝死んでいました。
 またある時、びしょ濡れになりながら片足を痛そうにあげて歩いている犬を見つけました。私は「ツグミや野良犬などの誰のものでもない動物たちは誰が助けるのか。こうした動物の命を救う仕事がしたい」と、まさにその時、獣医師を目指したいと強く思いました。

 獣医師になるには、まず大学の獣医学科に行かなければなりません。「その学力では到底無理だ!」と進路指導の先生に一笑されました。そこで、子どもが好きで小学校の先生にも憧れていたことから、教育学部も視野に入れて受験した結果、運良く宮崎大学獣医学科に合格することができました。

 大学では、解剖学や毒性学、外科や内科、繁殖学などを学び、獣医になるための学問が想像以上に深く広いことに圧倒されましたが、子どもの頃からの野生生物への思いが私を奮い立たせました。そして、就職活動の頃、私の二つの憧れであった「野生動物の獣医師と子どもたちの先生」を叶える職業を見つけました。それが動物園で働く獣医師でした。

 大学卒業後、長崎の動物園に就職しましたが、経験不足で満足に治療できず、目の前の動物を救うことができない現実に直面しました。動物園を退職し一からやり直すことを決め、大学の動物病院に行きました。「いつかは動物園に戻りたい」と思いつつ、動物に関わる仕事を転々としていた頃、北九州市の友人から「動物園が新しくなり、獣医師を募集する」と聞き、「故郷の動物園が生まれ変わる」との思いで一も二もなく受験して、第二の動物園人生をスタートさせることができました。

 開園十ヶ月前の六月、久しぶりに訪れた動物園には昔の面影はほとんどなく、赤土むき出しの道路に大型車両が行き交い、工事の大きな音が断続的に響いていました。しかし、その中にひっそりと身を細めていたゾウやカバを見つけた時、「まさか思い出の動物園で働けるとは」と、嬉しくて懐かしくて胸がいっぱいになりました。そう感じたのも束の間、その頃の動物たちは、新居への移動や工事のストレスで怪我や病気がちになるなど、獣医の仕事は、体がいくつあっても足りない状況でした。

 そのような中、今でも忘れられないカバの「ボンチ」にまつわる出来事があります。正式には「カバオ」という名前ですが、職員はなぜか「ボンチ」と呼んでいました。かなりの高齢ですが、診療のため口を大きく開けてものんびりと許してくれるような、穏やかで友好的なカバでした。

 そのポンチが、開園三ヶ月前の一月から食欲不振と下痢で体調を崩し、ついに二月中旬、倒れたまま立てなくなりました。このままでは三トンもの体重が体を圧迫し、危険です。そこで、浮力で体の負担を減らすことができるプールへ移すことになりました。ロープをかけての人力作業は約六時間かかりました。
 次に、プールの水温を上げるため、職員がお湯をポリタンクに入れてトラックで運び、何度も何度も獣舎の間を往復して遊びました。

 苦労の甲斐あって第一の危機は脱することができましたが、食欲が戻らないので薬を飲ませることができません。注射をするにも七センチを超える堅い皮膚には針が通らず、麻酔用の空気銃を使うなど治療も手探りの状態でした。

 開園まで二ヶ月。四十年間みんなに愛されてきた彼をもう一度みんなに会わせたい! 何とか生きてほしいという願いも叶わず、二月下旬ポンチは死亡しました。老衰でした。悔しい思いがおさまらないのと同時に、動物園の動物の命は、動物だけのものでもなく、訪れる人のためにもあるのだと気付かされました。


■ツグミの命を救える仕事に!


 野生生物は死ぬ直前まで必死で逃げ、戦い、餌を食べる。ぎりぎりまで弱みを見せないことが野生で生きる術です。病気とわかった時は既に手遅れの場合が多いので、動物園では予防のための取り組みが大切です。ポンチの死から八年が過ぎた今、園の動物病院で治療を受ける動物はほとんどいなくなりました。なぜなら、病気にならないための予防(例えば、栄養管理や衛生管理、予防接種)を心掛けているからです。それでも病気になり死亡した場合は、死因を究明し、次の治療に活かします。意外と地味な仕事ですが、動物の健康管理のためには何より大切な仕事です。

 「治療を受ける動物がいなくなった」と書きましたが、その一方で、実はほぼ毎日治療をしている動物がいます。それは、到津の森公園に持ち込まれる「傷ついた野生動物たち」です。年間四百件もの保護鳥獣が持ち込まれ、野性に帰すために治療やリハビリを行っています。もちろん、あの時救えなかったツグミも・・・・・・。(今思うと、高校生の頃助けられなかったツグミは、イチゴを食べようとしたのではなく、目の前にあるものを攻撃しただけだったのです)

 この取り組みも、傷ついた野生動物を治療し、命を救うだけがゴールではありません。負傷の原因は交通事故や窓への衝突、釣針による被害など、ほとんどが人間の生活と関わりがあります。そのことを知り、その原因を作らないことが大切だとの思いから、啓発活動も行っています。

 「人間の都合で捨てられるペット」「人間社会の中でひそかに苦しむ野生動物たち」。人も動物もその付き合い
方を変えるだけで、お互いもっと幸せに暮らせるはずです。そのためには、まず、到津の森公園の動物たちが幸せに暮らせることが第一だと考えています。その上で、訪れるみなさんに彼らのメッセージを伝えることが、動物の命を預かる私たちの使命です。

 子どもたちが訪れ、憧れていた、動物たちがいる故郷の動物園。
 だから、私は今日も楽しく、そして熱く、頑張っています。


【到津の森公園(小倉北区上到津)】
 前身は西鉄が経営する到津遊園。昭和7年開園。遊園地に併設された動物園として市民に親しまれたが、平成10年、経営難を理由に閉園方針を発表。だが、26万人分の存続署名が集まり、北九州市が引き継ぎ、平成14年、到津の森公園として再開。
 自然に、動物に、人間にやさしいをコンセプトに、約100種500頭の動物を展示。また、「市民と自然を結ぶ窓口」として、市民がエサ代などを寄付できる制度、エサの準備などに協力する市民ボランティア制度もあり、市民と一体となった動物園づくりをしている。

web http://www.itozu-zoo.jp/

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<どうでもいい感想>
書き写すと、読んだだけのときとは段違いに、外平さんに勝手に共感。一喜一憂しました。
書き写すって面白いわー。

ところでボンチとは「アフリカうまれのカバの血をひくおぼっちゃま」の意味で、カバオが上野動物園で生まれたとき、飼育係が名付けてくれたいわば幼名です。
ちなみに、その飼育係とは故・西山登志雄さん。彼は後に東武動物公園の「カバ園長」としてある世代より上の方には有名人です。
カバオの名は到津遊園にきたのち、公募で決まったもの。なるほど「宮本武蔵(むさし)」のことを、幼なじみの本位伝又八が「宮本村の武蔵(たけぞう)」と呼ぶのと一緒ですね。違うけど。

オマケ→西山登志雄さんについて昔書いた記事

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